
その3.藤の探偵団 編
とたとたとた。
パタパタパタ。
全寮制男子校の中で聞くには異様に体重の軽い人間の走る音に、まるでスリッパを鳴らしているような音に、道行く学生が思わず振り返る。そして、驚愕のうちにその影を見送る。
少年は、まったく周りの視線など気にせずに、一目散に寮内を走っていた。
少年の姿は、この全寮制男子校において、というよりは、高校という施設の中において、あまりにも不自然であった。そして、一般的な商店街に置いてみても、やはり不自然だったろう。肩が出るほどぶかぶかの厚手のTシャツを申し訳程度に着込み、腰が余りすぎて今にもずり落ちそうなハーフパンツの裾を捲り上げて、彼にしては大きすぎるA4サイズのカバンを引きずっているのだ。いくら10月初旬まで引きずった残暑がまだ残っているとはいえ、いくら私服が許可されている学校であるとはいえ、この姿はあまりにも不自然だろう。一般常識的に。
校舎棟から寮棟への渡り廊下を通り過ぎ、五棟ある寮を次々と踏破し、第五棟から第一棟まで一気に駆け抜けて、階段を最上階へ昇りきる。
ちょうど中央に位置する階段から右に曲がって、まず自分で鍵を開けた部屋に引きずってきた荷物を放ると、階段を挟んで反対側へ急いだ。
ピンポンピンポンピンポン。
せわしなく連続してチャイムを鳴らし、部屋の中にいるはずの住人を呼び出す。そのチャイムも、手を伸ばしてようやく届くほどの高い位置にあるのだが、そんな不便さすらもものともしていない。
しばらくして、部屋の主がその扉を開けながら、文句を言う。
「加藤、お前な。チャイム壊す気か……あ?」
とりあえず最後まで抗議を言い終えて、そこで固まった。
後藤正史。高校二年生。理事長の妾腹の息子であり、今年実験的に発足した学生探偵団、通称『藤の探偵団』のリーダーを務める男だ。
その冷静沈着を絵に描いたような男が、この時ばかりは唖然とした表情で固まった。まったく、由々しき事態と言っていいだろう。
そんな反応を、だが、それをさせた当の本人は、満足げにけらけらと笑った。
誰がどう見ても、幼稚園児か小学一年生な容姿を持つ少年だが、正史から見れば、紛れもない同い年の恋人なのだ。
「……加藤、だよな?」
「そぉだよ〜ん。ダーリンっ」
ぴょん、と跳ねて、少年は正史の腹に抱きついた。受け止めきれずに、正史が尻餅をつく。それは、少年が重かったわけでも抱きつかれた衝撃が強かったわけでもなく、とにかく驚いているせいだ。おかげで、とっさに身構えることも出来なかった。
「びっくりした?」
きゃははっと実に楽しそうに笑って、少年は正史の顔を覗き込む。正史はその少年をしばらく呆然と見詰めていたが、ようやく頭の整理がついたのだろう、盛大なため息をついた。
「びっくりした、なんてものじゃないだろうっ。加藤、お前、それ、どうしたんだ」
「へっへー。高杉センセの遊びに付き合ったのだよ〜ん」
「……またか」
その教師の名前で、どうやら事情の八割方を理解してしまったらしい。正史は仕方がなさそうに肩を落とした。
「で、戻れるんだろうな?」
「解毒剤はちゃんと飲んできたよ。今までの実績からいって、明日の朝には戻ってる予定」
「……そう願うよ」
完全に脱力した様子で、深くため息をつく正史であった。
その、高杉という名の教師は、普段は真面目で熱心で教え方も実に丁寧で、非の打ち所のない理想的な教師なのだが、いかんせん性格と興味の広さに問題がある、化学教師だった。最近は、どうやらバイオテクノロジーに興味を持ったらしく、怪しげな薬を作っては自分自身で試していたのだが、興味が深まっていくにつれ自分自身で実験する余裕がなくなってしまい、実験台を探していた。
そこに白羽の矢を引き受けたのが、正史の恋人、加藤太郎であった。本人はバリバリ文系の超天才児なのだが、天才であるがゆえに、今同級生が受けている授業の内容程度なら、授業を聞いているだけで頭に入ってしまうらしく、教科を問わず予習復習を必要としないだけに、とにかく暇を持て余していた。
そんな、需要と供給のバランスが、うまく取れてしまったわけなのだ。それに、面白いことなら自分から首を突っ込んでいくという、太郎の悪い癖も影響していた。どうせなら、高杉教諭と同じ理系の天才児、佐藤文也にやらせれば良いのに、と正史としては考えてしまうわけだが。
これまでも、高杉教諭の実験の影響で、太郎の身体に変化が起こったことは何度もある。髪の色を変えてみたり、瞳の色を変えてみたり、猫のような尻尾を生やしてみたり、そんな些細だがとてつもなく大きな変化だった。それでも、今回のように全身に影響が出ることはなかった。
一体どんな方法を取れば、高校生の身体を幼児化してしまえるのか。まったく、訳がわからない。
小さくなった太郎の姿は、太郎と並び称される天才児の文也にも、それ相応の驚きをもたらした。寮の各棟各階に設けられた共有スペースである談話室で、友人の宿題を手伝っていたらしいのだが、そこに居合わせていた四人が、全員同じ表情で驚きのあまり全身を硬直させる。
この六人が、それぞれに他にはない特技を備えた探偵団のメンバーである。中でも、太郎と文也の両天才児の影響力は計り知れない。
とはいえ、天才児の一方がこれでは、今日突発で何か問題が起きても、何も出来ないわけだが。
「え、もしかしてたろちゃん?」
「いややわ、ホンマ?」
正史が連れている、どことなく太郎の雰囲気を残している少年に、一瞬は正史の隠し子も考えてしまった文也が、ようやく言い当ててくれる。その解答に、勉強を教わっていた保がびっくりして声を上げた。
「へへっ。ちっちゃくなってみましたぁ。どうよ。可愛い?」
本人は、本気ですっかり楽しんでしまっていた。きゃっきゃっと、実に嬉しそうに笑って、その場でくるんと回って見せた。あぁ、かわいいかわいい、とやる気なさそうにいなすのは、文也の恋人の優だ。ある意味、一番動じていない。
「もうっ。さいっちゃん、気持ちが足りなぁい」
「何だよ。お前、自分を可愛いなんて言われて、喜ぶのは、どうせ委員長だけだろ」
「あははっ。そりゃそうだ」
口だけでも否定すれば良いのに、素直に肯定して太郎は楽しそうに笑う。その傍らで、正史は疲れたように頭を抱えた。
「大丈夫? 委員長」
「あぁ、佐藤。気遣ってもらって悪いな」
心配そうな目で正史を見て、同情的な声をかける文也に、正史は力なく笑って見せた。今までも、確かに高杉教諭のいたずらで驚かされてはきたが、今回は立ち直るのに時間がかかりそうだ。だからといって、そのいたずらを本気で咎めたことは今のところないのだが。何しろ、そうやっていたずらを手伝っているときの太郎は、実に楽しそうなのだから。
そんな正史のへこみように、文也は本気で心配を募らせた。はあっと大きくため息をつくと、腰に手を当てて小さい太郎を見下ろす。
「たろちゃん」
「なあに? ……え、さとっち、怒ってる?」
珍しく声質の硬い文也に、さすがの太郎もたじろいだ。びくっと首をすくめる。
「あのねぇ、たろちゃん。何にでも興味を持つことは、悪いことだとは言わないけど、限度ってものがあるでしょ? 恋人に心配かけない範囲で楽しまないと、いけないんじゃないの?」
う。
はっきり叱られて、太郎には反論できなかった。それは正論なのだ。それも、身体が縮むらしいということは了解して、実験を手伝ったということは、確信犯である。さらに、いつもただ微笑んで見守ってくれる人にお叱りを受けて、少しショックもあった。しょぼん、と肩を落とす。
子供な姿の太郎に落ち込まれて、さすがにほだされそうになった文也だったが、それでもけじめはちゃんとつけなければならないという責任感もあって、まるで子供を叱るように上からモノを言う。
「ほら。委員長に『ごめんなさい』は?」
「……ごめんなさぁい」
さすがに幼児らしく、そんな時は実に素直に、文也に促されて太郎が正史に頭を下げた。
見た目は無垢な幼児で、でも中身は良く知っている恋人で、そんな相手に妙に素直に謝られて、ご機嫌を伺うように上目遣いに見上げられて、そんな仕草が正史にはかえって心臓直撃だった。勝手に体温が上がる。ばくばくと鼓動する心臓の音が、うるさい。
「い、いや。これから気をつけてくれればいいから……」
「うん。もう、実験のお手伝い、やめるね」
「ああ。そうしてくれ」
そればっかりは切実で、本気では信用しきれない恋人の口約束に、正史は深く頷いた。
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