50万hit記念企画 第10位


 ゴールデンウィーク直前のある土曜日。
 征士の伯父夫婦に誘われて、二人は南千住にやってきていた。
 征士の両親とは未だ仲違いをしたままなのだが、伯父家族はすでに志之武も甥っ子の嫁として認識しているらしく、その占いの腕を見込んでの頼みごとがてらの呼び出しだった。
 その話が持ち上がったのは、まだ桜が満開だった三月末だった。
「ほら、玉姫さんで靴市があるだろう? 忘れたか? 玉姫稲荷だよ。あそこの実行委員に、工場オヤジ仲間の遠藤さんってのがいるんだけどな。最近どうも運に見放されたとかで、不運続きなんだとよ。幸い命には関わっちゃいねぇようだが、ヒヤッとさせられることもあったらしい。ちょっと見てやってくんねぇか? 靴市見物がてらで良いよ。どうだい?」
 酒を飲みながらの伯父の頼みごとに、征士はそれが仕事であることもあって気にかかり、引き受けて帰ってきた。そういう理由での出張だった。
 玉姫稲荷は、伯父が経営する中村ネジの工場からは、南千住の駅を挟んで反対側で、駅から歩いて十分ほど行った場所にあった。春の穏やかな日差しの下、白いテントを張った下で、地域の靴屋が軒を連ね、値段と品質を競い合っていて、思った以上に活気に溢れていた。
 待ち合わせ場所は、神社の社務所前だった。
 こちらを見つけて軽く手を挙げた伯父に答えて、征士が片手を挙げ、隣で志之武が会釈をする。
 伯父の隣に立っていたのは、恰幅の良い老紳士だった。靴製造工場の社長だそうだ。
「わざわざ足を運んでもらって済まないな。こちらが話をした遠藤さんだ。志之武さん、どうだい? 何かわかるかい?」
 せっかちなところは、江戸っ子らしいと言えばらしいところだ。
 おそらく大体のところは志之武が見ればわかるのだろうが、初見で深いところまで言い当てれば化け物扱いされかねないので、征士はまぁまぁと伯父をとりなし、紹介された遠藤氏に視線を向けた。
「どこか落ち着いてお話できるところはありませんか?」
「うちの店のブースで良いですかね? 立場上、ここを空けるわけにもいきませんで」
 こっちだ、と先導する遠藤氏を追って、征士は伯父と並んで来た道を戻る。その彼らを視線で追って、志之武はそれから、社の屋根をちらりと見上げ、軽く首を傾げた。


 幸い、何かの呪詛にかかっているわけでもなく、志之武が施した簡単なお祓いで、寄り付いていた浮遊霊も落とすことができた。それでもまだ何かあれば、本格的に調査するので、と連絡先の書かれた陰陽師としての名刺を渡し、遠藤氏と別れる。所要時間、三十分。半分以上は世間話だ。
 伯父とも別れて、志之武は征士を社の方に誘った。
「どうしたんだい、しのさん。何か見た?」
「お狐さんに、ご挨拶しないと失礼でしょ」
 過去、出生にまつわる縁から何かと狐神には世話になった立場として、生まれ変わって義理もなくなった立場とはいえ、挨拶くらいはするべきで。
 そりゃそうだ、と征士も納得したようで、今度は神社の社殿へ向かって、先に立って歩き出した。
 普段は参拝客もそう多くはないであろう境内も、催事中となればついでにお参りをしていく人影もあり、そのまばらな列に並んで手を合わせる。
 ふと見上げた征士は、その見上げた格好のまま、しばし固まった。
「……しのさん。ありゃあ、もしかして」
「うん。そんな感じだよね」
 見上げたその位置は、社殿の屋根の上。鳥の姿もなく、隣を通り過ぎていく人々は、志之武と征士の視線を追ってみては首を傾げて通り過ぎる。
 そこには、たいていの人の目には映らない、存在の姿があった。
 とりあえず、こんな人通りの多い場所で人が突然消えては大騒ぎになるので、人通りの無い神社の裏手に回ると、志之武は周りの視線をさっと確認し、自分と旦那の周囲に不可視の術を張り巡らした。
 元々前世に覚えた古武術の知識のある志之武も、剣道修行で師匠にだいぶ無茶な修行をさせられた征士も、身体能力は一般人よりずば抜けている。神社の屋根に飛び乗る程度、二人には造作も無いことだった。
 姿は消せても重さを軽減することは出来ず、二人が歩くと屋根瓦がコトコト音を立てる。その音で、先客たちはこちらの存在に気付いたらしい。警戒の表情で振り返った。
 それは、狐目の男女だった。そもそもここは稲荷神社。もちろん、正真正銘の狐神だ。
 女性は、雅やかな十二単姿で、立派な瓦屋根の突端に腰を下ろしており、そのそばに一昔前のパンクロッカー風の格好をした男が宙に浮いて胡坐をかいていた。
 その男性の方に、見覚えがあった。
「雷椿叔父様。ご機嫌麗しゅう」
 声をかけたのは志之武の方で。二人に気付いてじっと目を凝らしていた狐目の男は、その台詞で合点がいったらしい。警戒を解いたかと思うと、鼻で笑い飛ばして見せた。
『なんだ。誰かと思えば、志之助じゃないか』
 志之助は、志之武の江戸時代に生きていた前世が名乗っていた名前だ。母に付けられた名前かどうかは定かでは無いが、物心ついてから死ぬまで付き合った名前ではある。
 その名を久しぶりに呼ばれて、志之武は困ったように笑った。征士もまた、肩をすくめる。
「生きていたのか、とか続けたら笑いますよ、雷椿殿」
『そういうお前は、征士郎だな。あいかわらず仲の良い夫婦だなぁ。生まれ変わってまで一緒になるなんて、物好きな奴らだ』
 志之武の前世の伯父、雷椿が、人をからかって笑うことなど、まず無いことであるらしい。彼の側にいた女性が目を丸くしている。
 彼女が、この玉姫稲荷の祭神、玉姫だった。稲荷神社の祭神は狐神であり、霊力の強い狐が長い年月をかけて神格化した、妖怪にも近い神だ。玉姫は、鎌倉時代頃に神格化した稲荷神である。
 一方、雷椿のような古九尾狐は、元々の生まれが妖怪の間に生まれる純粋な妖怪であり、なおかつ稲荷神よりも古い時代から生息する、狐の妖怪の中では最高位の血統と力を持った存在だ。そのため、玉姫はこの稲荷神社の祭神でありながら、雷椿を賓客として扱っていた。
『どちらさまです?』
 不思議そうな玉姫の問いかけに、雷椿は彼女に視線を向け、にやりと笑った。
『俺の姉上が産んだ子供の、生まれ変わりだ』
『では、今は赤の他人ではありませぬか』
『ん? あぁ、確かにそうだな。もう狐の血も継いで……るな。今度はどこの血を受け継いだんだ? お前。随分薄くはなってるが、狐の血筋だろう』
 玉姫の突っ込みに頷きかけて、雷椿は言いかけた言葉をひっくり返し、少し呆れた表情になった。その台詞に、志之武も困ったように肩をすくめる。
「土御門の血です」
『あぁ、阿倍野の陰陽師か。さすがは国を支えた陰陽師一族、千年を越えてなおそれだけの濃さを保つとは、化け物じみてるな』
「化け狐に言われてちゃ、世話無いな、しのさん」
「もう、他人事みたいに」
 征士にからかわれて、志之武は少し膨れてみせる。そんな二人の夫婦漫才に、雷椿は遠慮なく笑った。
 それから、何か思いついたらしく、ぽん、と手を叩く。
『ここで出会ったのも何かの縁だ。手を貸せ、甥っ子よ』
『なんと、雷椿殿。人間の手を借りると申されるか』
 途端に、玉姫が抗議の声を上げる。今まで黙っていたのも、下賎な人間どもとなど口を利きたくない、という意思の表れだったらしい。
 そんな玉姫の反応に、雷椿は軽く笑い飛ばしただけだった。どちらかと言えば、懐かしそうな表情ですらある。
 それもそのはず。志之助と出会った江戸時代当時、姉を自分のもとから奪っていった人間を毛嫌いしていたという過去があるのだ。そして、その毛嫌いが取るに足らないものであったことも、実感しているのである。そうでなければ、この有能な甥っ子とこれだけ気軽に話をしているはずが無い。
『何。この甥っ子は、人間にしておくのが惜しいだけの力を持つ男よ。安心して任せておくが良い。我ら獣に考えつかないような知恵も見せるし、事は人間のこと。人間の側の意見は必要さ』
 全面的に信頼しているらしい雷椿の台詞で、玉姫は何を言っても無駄だと悟ったようで、口をつぐんだ。その玉姫の反応にまた雷椿が軽く笑う。
 一方、志之武と征士は、人間のことと聞いて顔を見合わせた。現代の人間風情が、稲荷神を困らせることなど、そうそうあることではない。
「どうしたんです?」
『あぁ、まぁ、そんなに深刻なことでは無いんだ。狐と犬が仲が悪いのは知っているか?』
「えぇ。猟犬と獲物の間柄ですしね、それはそうでしょう」
『そうそう、それよ。そこで問題なのだ。近頃の人間どもは、稲荷神に対する遠慮を知らん。毎日毎日紐で繋いだ犬を連れてきては、境内で好き勝手に遊ばせおる。玉姫も近頃はノイローゼ気味でな。それで、相談を受けたのだ』
 つまり、飼い犬の散歩を何とかして欲しい、ということ。用件を聞いて、志之武は腕を組んで呻ってしまった。
 用件はわかったが、何ともしようの無い難しい問題だった。この神社を散歩道にしている飼い主一人ひとりに言って回るのは現実的ではなく、勝手に張り紙をするわけにもいかない。張り紙の許可がもらえたところで、何人の人が協力してくれるか。現代人の感覚では、犬の散歩に公共の施設を利用して何が悪い、と言いたいところだろう。嫌なら門を閉めて立ち入り禁止にするしかない。
 さて、どうしたものか。
「犬避けの結界でも張りましょうか」
『……その程度か』
「他にやりようがないですよ。参拝客まで締め出すわけにはいかないでしょ?」
『まぁ、そうだろうな』
 多少不満そうではあるが、一応納得したらしい。幸い、今は祭り中で犬の散歩もない。玉姫も渋々頷いたので、志之武は早速、結界術に入った。
 所要時間、十秒。
「今生でも、神田明神様のすぐ近くに住んでるんです。良かったら立ち寄ってください。お茶くらい振舞いますよ」
『って、もう終わったのかよ。相変わらず非常識な奴だな』
 それを人外のモノに言われてしまうその事実の方がよっぽど非常識だ、と強く思う、傍観者の征士だった。


 それからというもの、神田明神下の喫茶店、江戸茶房には、狐目の常連客が出没するようになった。
 どうやら、その場所が気に入ったらしい。古の縁というのは随分と深いものである。


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