
昔、はじめて行った夏祭りで、はじめて金魚すくいをした。すくえなかったけれど、屋台のおばちゃんが赤い金魚を二匹くれた。はじめてできた人間以外の家族を、俺は大事に育ててきた。水槽の掃除は毎日欠かさなかったし、餌やりも俺がちゃんとやった。その甲斐あって、金魚は二匹とも、俺の部屋で元気いっぱい育った。
あれから十年。金魚はいつのまにか、俺の両手いっぱいの大きさになっていた。我ながら、死にやすいという縁日の金魚をここまで育てたなんて、偉いと思う。自画自賛。
俺の金魚には名前がついている。口の右端にほくろがある方がテン、目のまわりが黒くなっている方がパンダ。そのままなネーミングだが、当時六才の男の子が付けた名前なのだからこんなものだろう。性別は、知らない。子供ができないところを見ると、雄同士か雌同士かだろう。いや、案外小さいときから側にいたせいで恋愛感情にまで発展しなかっただけかもしれない。
さすがに人間を十六年もやっていると、いい加減ストレスというものも感じるようになってくる。その解消法が、何も答えない金魚に不平不満を洗い浚いぶちまけるというものだった。人に話すと結構すっきりするもので、でもうちは両親共働きで年の離れた兄も働きに出ているせいで、話をする相手もいない。おかげで、金魚相手に一人でしゃべるという、かなり根暗なことになっていた。俺自身は別に根暗でもかまわないのだけど、兄はそんな俺を少し心配しているらしい。
俺のストレスは、家に関することでは何もない。両親兄共に放任主義で、とにかく好きなようにすればいいと言われているし、相談があればちゃんと話を聞いてもくれる。だから、不満などあろうはずもない。
ストレスの原因は、学校にこそあった。金魚相手に独り言を言うような俺は、学校でも根暗なやつで通っていて、友達といえる友達がいない。一人でいるのはなかなか好きな方なので、別に友達がいなくてもそれはそれでいいのだが、主な問題は学校生活それ自体なのだ。
そもそも、どうして日本の学校は何をするにも班行動を強要するのだろう。話相手ならともかく、根暗な人間と行動を共にしようなんて奇特な人はそうそういない。おかげで、クラス内で班を作るときに、どうしても俺だけあぶれてしまうのである。これが、かなりの問題だった。どの班も、俺を班のメンバーに入れることに積極的でない。だから、俺としても、入れてくれる先の人たちに申し訳ないと思うのだ。なんていうか、良心の呵責というか、そんな感じで。おかげで、体育のある日、班行動をする日はたいてい、ストレスをためて家に帰る。
かといって、根暗な自分を更正させようという意志はまったくなかったりする。根暗なら根暗で別にいいじゃないか、と開き直ったのは、確か中学二年の時だ。いじめにあいかけたこともあるが、それは反応がおもしろくなかったのか、すぐになくなっていた。つまり、根暗でいても健全な生活は十分できるわけだ。
俺の開き直りぶりは半端じゃない。根暗も自分の個性だ、と思い込んでそれを押し通そうというのだから、我ながら立派な心がけだ。いやいや、かなり無茶だといってもいい。
さてさて。俺の根暗ぶりは大体わかっていただけたかと思う。ので、話をはじめたい。
いくら根暗な俺でも、怒るときは常人と同じように怒る。というか、俺って十分常人だ。独り言が多いだけで。それが根暗というんだといわれればそれまでだが。まあ、ともかく。
その時、俺は猛烈に怒っていた。何に腹が立ったって、担任のあの一言だ。
「柏、お前もう少し人付き合いというものを覚えんと、世の中に出ても生きていけんぞ」
余計なお世話だっちゅうねんっ。てめえに言われんでもわかっとるわっ。俺はガキとちゃうでっ。
あ、いや、俺は生粋の関東人である。怪しい関西弁をしゃべっても、怒らないでほしい。どうも興奮すると出てきてしまう。関西弁ってのは、どうしてこうアクが強いんだろう。関西には修学旅行でしか行ったことがないんだが。
とにかく、この時、俺は猛烈に怒っていたのだ。帰宅したとたん、玄関先にカバンを叩きつけたくらいに。その足で、カバンを放りっぱなしで階段を駆け上がったくらいに。
もちろん、冷静になれば、自分でも悩みはじめていたそれをいかにも人生の先輩っぽく偉そうに言われたもんで、必要以上に腹が立ったんだとわかる。人間、図星をつかれると正気を失うことが多々あるもので。そもそも、俺にとっては教師ほど嫌いな人種はいない。それも、金八先生バリの熱血教師なんて、絶対にお断わりなのだ。血の気が多いだけで、本当に困っているときは何の役にも立たないんだから。うっとうしいだけ余計迷惑だ。
「テンちゃん、パンダ、聞いてよお」
部屋に入って、俺は見慣れた水槽に駆け寄った。もう、怒り通り越して半べそかきながら。高校生のくせにみっともない。まあ、でも、自分の部屋の中だしね。取り繕っても仕方がない。
「中山の野郎っ。余計なお世話だっつうんだよ」
本当に感情が高ぶっていると、どうしてもまわりにあるものに当たりたくなる。この時はそれが水槽の壁だった。分厚いプラスチックの板を思いっきり叩いて、俺は地団駄を踏んだ。水が揺れてびっくりしたらしい。テンちゃんとパンダがこちら側の壁によってくる。普通は逃げるものだろうが、うちの金魚たちは俺がわかっているらしく、慰めるようにそばに来てくれるのだ。これがなかなかうれしい。この行動に今まで何度救われたことか。
「ありがとう、二人とも。びっくりさせちゃってごめんね」
本当は匹なんだけど、やっぱり「二匹とも」なんていう言い回しはおかしい気がするから、ときどき気分によっては「二人」って呼んでいる。まあ、どっちもどっちだ。たまに彼らを人扱いしているもので、俺にとってテンちゃんもパンダもただの金魚じゃなくなっていたりして。
ああ、ちょっと落ち着いた。ありがとう、金魚たち。君たちの姿を見るだけで、落ち着いてくるんだよ。
「そろそろ餌の時間だ。ちょっと待ってて。餌缶取ってくるから」
餌缶も、水槽のそばにおいておけば楽なんだけど、そばに置く場所がないもので、本棚に退避している。立ち上がって三歩歩かなければいけないので、なかなか不便だ。といって、この配置は水槽を大きくしてからかれこれ三年続いている。
「でさあ」
餌缶の蓋を開けながら、また俺は話をはじめる。かなり落ち着いていたから、餌をやりながらでもしゃべれたけど、怒り大爆発していたときだったら話にならなかっただろう。
「俺、別に世の中に出て生きていく気、ないんだしさあ。どう思う? 俺みたいな落伍者が表面だけ取り繕って生きていけるほど、世の中甘いと思う?」
なんて、金魚に聞いてもしょうがないんだけどね。口に出さないと、自分にも言い訳できない時って、きっとたくさんあると思う。俺の場合は、この水槽の前が愚痴の捨て場所なんだ。
『治輝は落伍者じゃないさ』
『ちょっと努力してみたら、誰よりも世渡り上手になると思うよ』
「なーにおだてちゃってんのよ、よいしょがうまいんだから……って、へ?」
今の声、何? この家には、今俺しかいないはずだ。そもそも、今聞いた二種類の声、はじめて聞く声だった。かすかにくぐもった、男にも女にも聞こえる不思議な声。
『あれれ? 治輝、聞こえたみたいだぞ』
『治輝ー。ここだよ、ここー』
『いつも話聞いてやってるだろー』
声が聞こえる方には、水槽しかない。だいたい、だから、この家には俺と金魚たちし…か……あれ?
「……まさか?」
見やった水槽から、つぶらな瞳の赤い金魚が二匹、こっちを見つめている。飼いはじめたときに比べたらかなり大きくなったその金魚たちが。ぷくぷくと口から空気の泡を吐いて。何かを語りかけているかのように。
いやいや、何を馬鹿げたことを考えているんだ、俺。いくらファンタジー好きの根暗男だって、考えていいことといけないことがあるだろう。しっかりしろ、柏治輝。仮にも科学者を目指す身で、何てことを考えた。
金魚がしゃべるだなんて。
『あ、やっぱし聞こえてんだ、治輝』
『十年一緒に生活して、はじめてだねえ、テン』
『なんか、感動しちゃうなあ、パンダ?』
テンにパンダだと? んな、馬鹿な。
根暗男のレッテルは喜んで容認するが、さすがに気違いのレッテルは許せないぞ、自分的に。金魚の声が聞こえるなんて、人間やめてる。俺は一応、人間ではいたい。
『おーい、治輝ー。聞こえてんだろー』
『現実逃避してないで、戻っておいでよー』
「……ってことは何? これ、現実?」
俺が夢を見てるんじゃなくて? 霊の世界に足を踏み入れちゃったとか、そういうんじゃなくて? 冗談だろ?
「なんで、お前ら、しゃべれるんだ?」
水槽の中を覗き込んで、俺はそれこそ夢の中にでもいるような、もうどうにでもなれという気持ちでそう問いかけた。返事がなければ、俺の幻聴ってことで、さっさと寝てしまうことに決定。返事があったら、どうしよう。
テンちゃんとパンダは、微動だにしないまま、どうやら目を見合わせたらしい。魚だから、目は横にくっついていて、テンの右目とパンダの左目がすぐ側にある。目を見合わせていても、こっちには仲良く横に並んでいるようにしか見えない。
『なんでって、今までもおいらたちしゃべりまくってたよなあ?』
『治輝に聞こえたのがはじめてなだけだよ』
『なんでなんて、おいらが聞きたいさ』
なあ、と二人して言う。いや、二匹並んで確認しあう。ってことは、やっぱり幻聴じゃない。俺はまだまだ頭の中がこんがらがったままだ。
『まあ、落ち着きなよ、治輝』
なんて金魚に言われるのは、たぶん世界広しといえど俺だけに違いない。思うと、なんかすごく情けない感じだ。ああ、情けないと思えるまでには感情が回復してる。少しずつ落ち着いてくるのが、それこそ実況中継できるくらいにわかる。うーん、これもまた初体験だな。
『はーるきー。聞こえてるかあ?』
『また、聞こえなくなっちゃったかな?』
「……聞こえてる」
『それは良かった』
まるで笑っているような声だったので、また俺は水槽の中を覗き込んだ。見ても見ても、穴が開くくらいに見つめても、金魚が笑っているようにはどうしても見えない。でも、頭の中に笑う声は聞こえてくる。
そう。頭の中に聞こえているのだ。空気を伝わって聞こえる、音の声じゃないらしい。金魚に声帯なんてあるはずがないんだから、当然だけど。
でも、頭に直接聞こえる声というのは、何とも気持ちが悪い。どうやって聞こえているのか、そのメカニズムが想像できないからで、感覚的にも鼓膜を通さない音というのは気持ちが悪いものらしい。なんとなく、脳内の聴覚あたりに何かが働いているのだろうとは考えられるが、それがどこから来るものなのかまではちょっと考えつかない。やっぱりテレビの特番並みの知識じゃ、その程度だ。
だいたい、人間以外の生物がどうやって互いに意思の疎通をしているのかなんてことからして、学術的にもわかっていないのだ。素人の俺がわかるはずもなかった。
『何かぐるぐるしちゃってるみたいだね、治輝の頭ん中』
俺が考え込んでいた間もテンちゃんとパンダの会話は続いていたようだったが、その間はあっさりと無視していた俺の頭が突然その言葉を聞きとがめた。まさか、と思ったその瞬間に言葉が口を突く。
「……俺の考えてることがわかるのか?」
俺の頭の中を覗けるのか、ってこと。詰問口調だったところをみると、どうやら俺は人の頭の中にまで踏み込んできたと思い、腹を立てたらしい。プライベートにはかなりうるさいあたりは、人間特有だと俺は思う。それとも、言論の自由、思考の自由ってやつが、法律で守られているからだろうか。
俺がこの二匹に詰問口調で話すことなんて、十年間付き合ってきてはじめてだったから、ちょっと戸惑ったらしい。テンちゃんとパンダは、また目を見合わせたようだった。
『ううん。ただね、難しそうな顔して黙り込んじゃったから』
『治輝の癖なんだよな。一人でぐるぐる考え込んで、自分だけで納得しちゃうの』
『治輝が思ったことそのまんま口に出すことって、ぼくたちの前でだけじゃない?』
『何か言う前に、頭の中一周して、それから口に出すんだよなあ』
っていうか、なんでそんなことわかるんだろう。水槽の前じゃ、頭の中そのまま出してるから、それしか見てないはずだけど。
『ほら、また黙った』
『不思議に思ったら言っちまえよ。どうせおいらたちしか聞いてないんだからさ』
いつもそうしてるだろ、とそういう声が、本当に俺を心配してくれているようで、俺は何だか胸がじいんとしてしまった。感動した、んだろうな。本当に、うれしかった。こんなに俺のことをわかってくれている相手って、もしかしなくてもこの二人だけだから。
言葉に甘えて、さっきの水槽の中にいてどうやって、という疑問を口に出したら、どうやら二匹とも笑ったらしかった。
『考えたこと全部外でぶちまけてたら、ぼくたちに愚痴るボキャブラリー使い果してると思うよ』
『頭ん中でぐちゃぐちゃするから、言うタイミング逃してんじゃないのか?』
うん。その通り。昔はタイミングのつかみ方がわからなくて散々悩んだものだ。今なんて、もう諦めの境地で、別に言わなくても困らない言葉はみんな、水槽の前で口に出している。でも、推敲してしゃべらなきゃ、相手怒らせたりするし、俺はただでさえ口下手なんだ。思ったことそのまま口に出すなんて、難しすぎて俺には無理。
『な、ほら』
また黙っているのに、頭の中で考えだしたと思ったらしい。今度は俺にも笑ってやる余裕ができていた。別にぐるぐる考えていたわけじゃないから。
「別に考え込んでたわけじゃないよ」
『考え込まなくたって、なんか言われて一瞬黙るだろ?』
そりゃまあ、一応は言っていいことか悪いことか、考えなくちゃいけないし。
「普通だろ、それ」
『ほら、また一瞬黙った。普通じゃないって。豊兄さんは、すぐに返答してくるじゃない』
『とんちんかんなこと、よく言うけどな』
聞いてておもしろいんだよなあ、と二人していきなり盛り上がる。いつも水槽の中でそんなことばっかりしゃべっていたんだろうか。話があっちこっちに飛んで、なかなか本題に戻ってこない。見事に世間話化してる。
でも、と俺の頭の片隅が言った。頭の真ん中がよく考えて言葉を紡ぎだす場所だとすれば、思い出すこと、思いつくことの類は、みんな頭の片隅でひっぱりだされてくる。それが理にかなっていることだったら、頭の真ん中に引きずりだしてくるという要領で、今まで日常会話をしていたのだから、一瞬黙り込んで当たり前だ。
今回、この台詞が本当に理にかなっているかどうかは自信がないけれど。いや、まったくかなっていないことはちゃんとわかっているけど。
「世間話って、話あっちこっち飛ぶよな」
『あたりまえだろ。だから世間話って言うんだから』
『治輝って、世間話、肌に合わない質?』
おいらたちはかなり好き、と金魚に言われてもなあ。水槽の中で一生を過ごす金魚の世間話って、想像つかない。ネタ、そんなにあるか?
『世間話に限らず、さ。話って、あんまり考え込んでたら、弾んでいかないじゃない』
『とちったりとんちんかんなこと言ったりして、話って弾むものだと思うぜ。とことん推敲して言葉紡ぎだすのは、改まったとこでだけでいいじゃねえか。あんまり考え込んでると、余計頭疲れんだろ?』
お、話戻った、とさっきから乱暴な物言いをしている方が言う。何か、真剣な話をしたかったらしい。二人の声が聞こえたことにパニックして、それにばっかり終始していたから、全然気づかなかったけれど。
「戻ったって?」
『そ。治輝は落伍者どころか、成功しても全然おかしくないって話さ』
はあ? それと、頭の中でぐるぐるすることと、どんな関係があるんだ?
『うーん。まあ、治輝の疑問は大体想像つくから聞かないけどね。治輝が根暗のレッテル貼られてるのはね、その頭の中でぐるぐるしちゃう癖のせいだと思うんだよ、ぼくたち』
いや、それは、関係ないだろう。実際、俺は十分根暗なんだ。レッテルも何も、事実を指摘されて怒るほど、俺はガキじゃない。
『おいらたちにしゃべってるのが治輝の本当の姿だとすればね、治輝って普通の人よりよっぽど根明だと思うぞ』
「それは誤解だ。おま……テンちゃんもパンダも、俺やうちの家族以外の人間を見てないから」
『お前ら、って言えばいいじゃない。治輝にはそれだけの権利、あるよ? ぼくたちの飼い主なんだから』
いや、いくら飼い主とはいえ、それはいくら何でも人としてまずいんじゃないか? 他人をお前呼ばわりするなんて、それも本人を前にして。パニクッてた時、お前呼ばわりした気もしないでもないけど。
『治輝が口悪いのは、よく知ってるもんな。今更取り繕われても、あんまり意味ない』
「悪かったな、口悪くて」
『いいんだよ、それでさ。本当の治輝は、それなんだから』
『治輝って、ぼくたちに愚痴るとき、すごい勢いでまくしたててるけど、ちゃんと文脈通ってるし、言葉間違ってないし、とちったところみたことないんだよ』
だから、きっとそんなに考え込まなくたって十分しゃべり上手なんだ、と二人口をそろえた。俺は俺自身をちゃんと把握している自信があるから、そんなことはない、と首を振る。ガキの頃から口下手で、口を開いてもまともに言葉が出てこないし、舌っ足らずで相手に聞き取ってもらえないし、言いたいことの一部もわかってもらえなくて、そのせいでいじめられそうになったことだってないわけじゃない。だから、口は災いの元、というのが俺の座右の銘。以来、滅多に口を開かないようにしてきたし、熟考してからじゃないとしゃべれなくなった。そんな経緯があるから、しゃべり上手だなんて言葉、俺にはとても信じられない。
そんなこんなの過程は、うちの豊兄さんが証人だ。何しろ、いじめられたくなかったらよく考えてものを言え、と教えてくれたのが豊兄さんだから。そう言った当の豊兄さんがよく考えてものを言っているところは、見たことがないけど。
『治輝は、その口一つで世の中華麗に渡っていけると思うな』
「華麗にって……豊兄さんだな、そんなへんてこな言い回し教えたのは」
『……治輝じゃなかった? ねえ、テン』
『そうそう。マシンガンしゃべりしてる時の治輝だぞ、そういう言葉使うの。聞いてておもしろいんだぜ。おいらたち、いつも腹抱えて笑ってんもん』
……俺? 知らなかった。なんて言葉使ってたんだ、自分。そういや、しゃべりまくってる間の俺の台詞なんて、聞いたことないし、覚えてたことないんだ。こんなふうに返ってくるだなんて想像もしていなかったから。他にも何か変な造語や言い回し使ってないだろうか、不安になってくる。
『そういう言葉をさ、友達としゃべってるときに使ったら、きっとすぐ人気者になると思うんだけど』
『そうそう。今までおとなしい治輝くんやってたんだから、ギャップあってウケるかも』
「変な奴、ってますます敬遠されるに決まってるさ」
今までだって、そうだったんだから。
『そうかなあ? 治輝がそう思い込んでるだけで、本当はみんな、治輝が心開いてくれるの待ってんじゃない?』
『試しにやってみろよ。時場所場合考えて言葉変えるのは治輝の得意技だろ? 友達の間でだけやってれば、おもしろい奴だ、って人気者になると思うぜ』
『最後に治輝が思ったことそのまま言ったのって、小学生の時でしょ。今ならもう、まわりもみんな治輝と同じように大人になってて、ユーモアもわかるようになってるんだよ。やってみる前にあきらめちゃ駄目だよ』
治輝だって、このままじゃいけないって、わかってきてるんでしょ、と。いきなり核心を突かれて、俺は反論もできずに黙ってしまった。この黙りは、言葉を選ぶ黙りじゃないのが、金魚ながらわかっているらしい。俺の反応をひたすら待っていてくれる。
そうなのだ。いくら強がりを言ってみたところで、世の中に出て生きていかなければいけないのは本当の話で、それもかなり差し迫ってきた話なのだ。再来年には大学受験を控えている。受験勉強くらいなら、それこそ一ヵ月でぶっつけちゃうことだってできるけど、性格は努力してでも変えないことには新しい社会で生活していけない。今日、先生が言ったことだって、つまりはこういうことであって、本当はよくわかっているんだ。わかってるんだけど。けっこう前から、わかってはいたんだけど。
「……難しいよ。これまで五年以上も、こういう生き方してきたんだから」
『だから、これから変えるんだよ。突然なんて無理なのは、ぼくたちもちゃんとわかってる。でも、はじめなくちゃ。違う?』
『おいらたちは、いつだって治輝のこと、見守ってるよ。今までみたいに、おいらたちにいっぱい愚痴言っていいから。ちょっとずつ、やっていけばいいさ』
ちょっとずつ……。でも、やっぱり……。
「無理だよ、俺には……」
『治輝』
言い訳しようとした俺の言葉をさえぎって、今までのよりずっと強い声で、呼ばれた。それこそ、叱られたように俺には聞こえた。これは、黙るしかない。考えるなんて呼吸抜きで言葉を飲み込む。その俺に言われた言葉。
『ぼくたちね、もうすぐお別れなんだ』
『ちょっ、パンダッ!』
え? 咎めるように言う声に、それがどういう別れなのかとっさに判断できなかったけど、とにかく本当のことなんだとわかって、俺は今までとはまったく違った意味で押し黙った。とにかく、唐突な話で驚いて。そんな俺に気づいていないようで、金魚たちはまるで勝手に話を続ける。
『だから、そばにいて聞いててあげること、できないんだよ。助けてあげたいけど、できないんだよ』
『……別れるのは、辛いけどな。もう、寿命だからさ』
『自分に、甘えないで。頑張って生きて。治輝は、ぼくたちよりもずっと長い間生きていられるんだから。生きていれば、無理なことだって可能になる。そう言ったのは、治輝でしょう? 忘れちゃった?』
それは、覚えてる。二年前中三の秋に、自分で言ったんだ。これは、俺が俺自身に言った言葉。自殺未遂やらかしたクラスメイトに自分重ねて、死ぬことだけは絶対にしちゃいけないって、親を悲しませちゃいけないって、そう思って言い聞かせた言葉だから。絶対に忘れない言葉だ。
『無理なことだって、可能にしちゃって』
『いつまでも、そばで見てるから。後ろはおいらたちが守るからさ。頑張れ』
……そうだね。うん。頑張ってみるよ。
金魚に背中押されて決心する人間なんて、やっぱり俺だけなんだろうけど。自分でせっせと育てた金魚たちだから、その金魚に励まされて、見知らぬ他人に言われるよりよっぽど勇気が出る。頑張ろう。そう、自分に言い聞かせた。いつ別れることになるのかは知らないけど、この二匹が死んでしまっても、頑張って生きていこう、と。
次の朝、水槽にぷっかりと浮かぶ二匹の赤い金魚を見つけて、前もって教えてもらってわかっていたことだけど、俺はそれこそ涙が出る限りずっと、泣いた。それから、典型的建売住宅の狭い庭の片隅に、テンちゃんとパンダの墓を作った。この墓は、二匹の眠る場所であると同時に、俺の誓いの碑だ。
「頑張るからね」
テンちゃんの生意気そうな声とパンダのやさしい声が聞こえた気がして、俺はすっきり晴れた空を見上げ、枯れはてたはずの涙を流していた。
Copyright:(C) 2004-2008 KYMDREAM All Rights Reserved.